Macrophage II の日記

ヨット(BW-33)のレストア記録を中心にした独り言

第37回佐伯市長杯クルーザーレース大会  参戦記 その3 (外洋レース艇としての歴史)

BW33CLUBの記事、日本の外洋ヨット解説によると、BW-33は、「1972年5月の大島レースにデビューしていきなり2位、6月の初島レースでは初優勝、7月の鳥羽レースでは2位」、だったという。

(詳しくは、http://www.donsaigou.com/daikome.html

 

関係者の話だと、これら1972年の各地でのレース参戦は、リンフォース工業の販売促進を目的としたもので、そのスキッパーが、リンフォースでプロダクションボートとしてのFRPヨットの製造販売を手がけた武村洋一さんだったという。

それがBW-33プロトタイプ、セールナンバー1184、Crazy Blue、いまのMacrophage IIということのようだ。

NORCだより第12号(1974/4/1発行)によると、その後、1184番は、福岡のグループオーナー(田中昭愛氏を代表とし、木下隆一郎、木下介二、長安威尚氏らの4名)の手に渡りZeus Sという艇名で登録されている。

以前、倉橋島で出会った広島のオーナー(私からみた前々オーナー)は、福岡のグループから購入したと言われたので合点がいく。そのあとが、大崎上島のMさん(艇名ポパイ)、そして私(Nyoro^2あらためMacrophage II) と引き継がれたということで、間違いないと思う。

 

いまのMacrophage IIのバルクヘッド(フォクスルとメインキャビンの隔壁)に、福岡時代のレース記念プレートが残っている。

艇内に残る記念プレート
1975年玄海レガッタレースウィーク
50マイルレースでファーストホームに輝いている