Macrophage IIが、進水したのは昭和47年かそれ以前だと思われる。
舵誌の記事とその写真、当時のNORC会報バックナンバーに記載されている登録艇情報、リンフォース工業(造船所)の元社員Kさんの話などから、Macrophage II は、リンフォースがBW-33を市場投入する際に製造したプロトタイプ(1号艇)であるのはほぼ間違いないと思う。
昭和47年に、艇名 "Crazy Blue "(セイルナンバー1184)として初代オーナー中台光雄氏(おそらく当時の社長さん)が初期登録された数ヶ月後に、武村洋一氏(サンバードスキッパー、のちのニッポンチャレンジ事務局長)が同じ艇名("Crazy Blue")で登録されている。
デザイナーは、言わずと知れた武市俊氏であり、リンフォースは、BW(ブルーウォーター)シリーズを開発、日本のFRPプロダクションヨット製造販売の先陣をきったのだった。
当時、BW-33は、明らかに最新鋭の外洋レーサーとして認識されていた。
元リンフォースのKさんのお話だと、当時、販売促進目的で武村さん(当時、リンフォース社員)が各地のレースに参戦していたときに使ったのが、セイルナンバー1184、Crazy Blueだったのだ。
この話を知ったのは、つい最近のことだった。古い舵雑の写真のセイルナンバーをみて、おどろいた。これは、Macrophage II だ! Macrophage II には、いくつか古いセイルが残っていて、それがすべて1184番なのだ。
Macrophage II には、レーサーとしての”狂気の青”の血が流れていたのを知り、正直、すこし怖くなった。
なんというのか、付き合っている彼女の過去を偶然知ってしまった、みたいな感覚だろうか。
私は一貫して、ゆる〜いセイリングを目指してきたわけで、草レースに出ても、どうせ設計上も遅い”クルージング艇”だし、、と言い訳をしながら、必死に走ったことなどなかった。
実は、この艇は、もっとガンガン走らせてくれよ〜〜と耐えてきたのか、、、と。
Crazy Blueが、青を基調にしていて、ゲルコートは全て紺に近い青なのも納得がいく。
ちなみに、Macrophage IIは、赤をたくさん使っている。