私自身、先日の佐伯レースの帰りは、ある程度は時化るとわかっていて出港した。
豊後水道で小型漁船をみることはなかった。 では、なぜか出たのか? 簡単である。
次の日、仕事があるのだ。
もちろん、大丈夫だと思ったのも事実だし、途中で逃げる港も複数想定して出たが、若干無理してでも帰らねば、というプレッシャーはあったと思う。
観光に来ているお客さんがいるから出港したというのとどこが違うのだろう?
その心理の基本構造は同じだと思う。
私が船長だったとして、カズワンのおかれている状況だと”絶対に”出なかったのか?
今回のカズワンの事故をみて、私なら大丈夫だと言い切れるボートオーナーがどれほどいるだろうか。
カズワンが出港した日の港の外の波高が実測値で記録されている。
報告書に数字とグラフまででている。 気象モデルからの予測ではない。
実測値だ。
実際、カズワンが出ていったときは、波高50cmしかない。 それがわずか数時間のうちに、最高波長6.5メートル(注)に達している。
こんなことが現実におこるという事実が記載されているのだ。
(注:報告書では、カズワン周辺の波高については、気象モデルから推定された値がでていて、それよりは低い波高だったとされる。)
たしかに、日本海には台風並みに発達した低気圧から伸びる前線がある。
これもしっかり報告書にでている。
常識的には出港すべきではないと教科書みたいに論じるのは簡単だ。
私だったら本当に出なかっただろうか? どうしても自問自答してしまうのだ。
波は50cmしかないという目の前の事実は、人間を安心させる。
しかし、次の自然は瞬間に人間の気持ちなど容赦することなく、牙をむくのだ。
ずっと若いころ、もっと小さなヨットで、豊予海峡で電信柱のような高さの大波を次から次にくらって、死ぬ思いをした。
たいした乗船経験はないが、あとにも先にも、ここで死ぬかも、という恐怖を感じたのはそれが最初で最後だ。そして最後にしたい。
その時も、すでに南に台風がいるのは分かっていた。
出るべきではなかったのだろう。
しかし、そのたった1時間まえ、海上は50cmどころか、鏡のような水面だった。
私は、完全に安心して小型ヨットを走らせていたのだ。