早吸日女神社にも行ってみた。
こちらは、大きな神社でわかりやすいところにあるので迷うことはない。
おもしろいことに、早吸日女神社も椎根津彦神社も1600年に焼失している。
この地は、関ヶ原の戦いと関連し、東軍の竹田藩と西軍の臼杵藩が戦った場所なのだ。
(ということを昨日知った。)
実に興味深い。
早吸日女神社は、湧水らしきものがあり、溜池があり、、、きっと陣地には最適な場所だったのだろう。
しかし、なんで臼杵と竹田の戦いで佐賀関? と現代の道路地図をみると不思議な感じがする。
そうか、昔は、竹田から臼杵へ行くには、大野川をくだって鶴崎、佐賀関、海沿いに臼杵、というルートしかないわけか。(私の説です。うそかもです。)
戦争のあとには、佐賀関は、加藤清正、その後肥後細川藩の飛び地となり、番所とお茶屋がおかれ、宿場があり、、という要所として栄えるのでした。