熊本弁で、のぼせもん、という言葉がある。
なにかイベントなどで、舞い上がるひとをいう。
イベントには自然災害も含まれるような気がする。
災害支援のような、イレギュラーでかつ緊急性がある”危機”を乗り越えるには、そういうパーソナリティーを持ってるひとがある一定数必要なのだ。
全員が全員、気分がどん底まで落ち込んでいたら、現場が回らない。
口にはださないかもしれないが、危機を乗り切るには”興奮”が必要なのです。
その心理状態を、うまく説明するにはいろいろな言い回しがあるだろうが、”高揚感”、あるいは”多幸感”、子供だと、”うきうき”などが含まれていると思う。
浜松市長の発言は、大人気ないのだろうか?
もしそうだとしても、そこまで非難されるレベルなのか?
台風が来ると、いちばんノボセあがるマスコミが偏った報道をするのはいかがなものか。
ヘルメットかぶり、海岸から中継をいれるには、高揚感なしにはやれない仕事だと思う。
危機に直面し、高揚感がでることは、すでによく知られている極めて正常な生体反応。
少なくとも私は、浜松市長は、その発言だけで非難されるほど悪いとは思わないな。
正直、言葉尻は、どうでもよいと思う。
動物は、危機、例えば敵に遭遇すると、興奮するように設計されているのだ。
ストレスに反応して脳から出る指令ホルモンが作動し、まさに快楽や多幸感、すなわち”喜び”と関連する脳内ホルモンが放出され、お腹からは全身の血管を収縮させる興奮性のホルモンやら、ストレスから身をまもるためのストレスホルモン、さらに痛みを強力に抑え込む複数のホルモンやらが総動員される。
仮に敵に噛まれて負傷しても、痛みを感じることなく、高揚した状態をたもちながら、全速力で逃げられるのは、まさに、”高揚”しているからできること。
ひとがジェットコースターに乗るのは、恐怖→高揚→快感につながる反応を得られるから。つまり、快楽が得られるからこそ、お金だしてでも、遊園地でリスク買うひとがいるわけです。
考えてみると、ヨット乗りの私は、大時化はいやだし、そんなときは出港しませんが、海上でちょっと風がふいて緊張するセイリングが続くと、若干の高揚感があって、それを乗り切って帰港すると、脱力とともに、あきらかに”気持ちよかった”と感じる。
なのでやめられない。