実は私が山﨑さんに舵作りをお願いしたときには、会社自体はなくなっていたようで、ヨットの修理などをかなり小規模なレベルで受注されている状態だった。
ひょっとしたら私の舵づくりが最後の仕事だったのかもしれない。
古い舵を八代ヨットクラブの泊地近くにあった工場に持ち込んだ。
実は”はじめまして”ではなかった。
私は、小学校の図書館にあった栗原景太郎さんの著書「白鴎号航海記」 を読み、その後、中学の図書館にあった堀江謙一さんの「太平洋ひとりぼっち」を読み、ヨットに興味をもった。
ヨットが欲しいと思った。
ところが、熊本の田んぼの中で育った私は、ヨットなんて見たこともなかった。
そんなとき、新聞だったと思うが、クルー募集の案内をみつけた。
1980年の春だったと。